「ただいま〜」
虎臣くんの声に振り返った。
「おかえりなさい!」
一人でも、みんなを待っている時間は寂しくなんかなかったけど。それはこうして、帰ってきてくれるってわかっているからだ。
「ただいま、二宮さん」
「うん。おかえり」
「…この匂い、もしかしてカレー?」
「そうだよ」
「やった!嬉しいな。実はさ、二宮さんが何が好きか聞いてくれたとき、今晩作ってくれんのかな〜?って、期待してた」
本当に嬉しそうな笑顔で、ダイニングテーブルに鞄を置いた虎臣くんが、カウンターからキッチンを覗き込む。
「あ〜、この匂い。お腹すいてきた」
「咲良さんが戻ってきたら、用意するね」
「…それまでお預けかあ…」
「伶志さんがさっき気分転換に出掛けて、今川焼を買ってきてくれたんだよ。食べる?」
「うん!」
お茶は玄米茶がいいな〜と、ちょっと甘えたみたいな声で言われ、ぼくは棚から茶葉を取り出した。
カウンターに肘をついたまま、虎臣くんがぼくの様子を眺めている。
「何か手伝うこと、ある?」
「ありがとう。でも大丈夫だから、お茶を淹れている間に着替えてきたら?」
「じゃあそうする。すぐに戻るね」
ちょうどそのとき、玄関から来訪を告げるベルが鳴った。
咲良さんが帰って来たなら、そのまま入ってくるだろう。ぼくは虎臣くんと顔を見合わせる。
「誰だろ?」
「さあ…」
「オレちょっと行ってくる」
「いいよ、ぼくが出るから。虎臣くん、着替えてきて」
「わかった。ありがと」
一緒にリビングを出て、階段を上っていく虎臣くんを眺めながら、玄関の扉に手をかける。
何も考えずに扉を開けたぼくは……目の前に立っている人物の存在が信じられなくて、目を見開いた。
「あ……」
息が、出来ない。
苦しい……どうしよう。
なんでこの人が。
どうやってここのことを。
ぼくを見て、すうっと細くなった目。睨むような視線。
蓮さんと同じくらいの高さからのものだけど、少しも似ていない。蓮さんから感じる温かさなんか、微塵も感じない。
その人は溜息を吐き、口元を歪めた。
逃げ出したい。
怖い……どうしたら。
「バカだバカだとは思っていたが、ここまでバカだとは思わなかったな」
「兄さん…」
「まったく。お前はどこまで俺に迷惑をかければ気が済むんだ、蒼紀(アオキ)」
二宮浩成(ヒロナリ)。母が再婚して、兄になった人。
ぼくが世界で一番恐れている人物が、目の前に立っていた。
無意識に一歩二歩とあとずさる。足の力が抜けてしまって、その場に崩れ落ちた。
兄さんが侮蔑の色を浮かべ、ぼくを見下ろしている。その手が伸びてきた瞬間、恐怖に身を竦ませ、固く目を閉じた。
「二宮さん!」
階段の方から聞こえた声。手早く着替えを済ませた虎臣くんが、慌てて駆け寄ってくれる。
「どうしたの!大丈夫?!」
ぼくは身体を支えてくれる彼の手を、何も考えずに握り締めていた。