【南国荘U-J】 P:09


 戸惑っている様子の虎臣くんが、兄さんを見上げている。兄さんは先刻と全然違う、にこやかな微笑みを浮かべて、虎臣くんを見下ろしていた。

「あ、の…?」
「こんにちは、はじめまして。二宮蒼紀の兄です」

 穏やかな声。
 虎臣くんは困惑した表情で、兄さんに返事をしている。
 ぼくはしばらくの間、凍ってしまったかのように、虎臣くんの手を離せずにいた。
 
 
 
 
 
 母が再婚して出会った兄。
 この人は何もかもがぼくと違っていた。
 優秀で活発で、何事でも人の先頭に立つタイプの人だ。ワガママなところもあるけど、要領が良くて、自分の願望を通す方法をちゃんと心得ている。
 何も出来ないぼくは、この人に迷惑を掛け通しだった。だから逆らったことはないし、兄さんもそれが当然だと考えていて。
 家を出るまでの五年間。ぼくの全ては、いつもこの人の支配下にあったんだ。

 今川焼を食べながら、兄さんと虎臣くんが笑って話をしている。
 ずっと連絡がつかず心配していたという、兄の話を聞いて、虎臣くんは驚いたみたい。

「じゃあ、どうやってここのこと、わかったんですか?」
「ようやく大学が春休みに入って、バイトの休みが取れたから、蒼紀の住んでいたアパートを訪ねてね。取り壊されていてびっくりしたんだ。慌てて紹介してもらった不動産屋を探して、そこで出版社のことを教えてもらって」
「すごいな…一日で?」
「そうだよ。出版社で聞いたら、東さんという方にお世話になってることがわかったんだけど。あいにく東さんは出張だって言われてしまったから」
「そっか…会社でこの家のこと聞いたんだ」
「最初は教えてもらえなくて、ちょっと苦労したなあ」
「個人情報だもんね…千歳さんがいたら、もっと早くわかったのに。すいません」
「ははは。君が謝ることじゃないよ?こうして会えたんだから、大丈夫。それにしても連絡を忘れていたなんて、蒼紀らしいな」
「うっかりしてたの?二宮さん。電話くらいしておけば良かったのに」

 二人がこっちを見て笑っている。ぼくは俯いたまま「すいません」と答え、もう出来上がっているカレーの鍋を、ただぐるぐると掻き回していた。
 ああしていたら、まるで兄の方がずっと、この南国荘で暮らしていたみたいだ。もうすっかり、虎臣くんと馴染んでしまっている。

 ぼくが積み上げたもの、あっさり奪い去っていく。
 でもそれは、いつものこと。
 あの人はぼくより、優秀なんだから、当たり前。
 慣れてるよ……こんなこと、慣れてる。
 なのに、苦しくて。虎臣くんの声を聞いていると、泣きそうだ。

「千歳さん、帰ってくるの明日なんです。今日は榕子さんも遅いって言ってたし、蓮さんは千歳さんと一緒に長崎だし。伶や雷は出てこないだろうし…咲良さんやオレじゃ、代わりにならないから」
「ごめん…どなたかな?」
「あ、ごめんなさい。榕子さんはこの家のお母さん。蓮さんは榕子さんの息子で…ええっと、千歳さんの…同級生」

 初めてぼくがこの家を訪れた時のように、虎臣くんは兄にみんなの紹介をしている。どうしてか胸が痛くて、声が出ない。