兄さんにみんなのことを、紹介したりしないで欲しい。それも虎臣くんの口から、なんて……。
だけど会話を止める手段なんか、ぼくにはあるはずがない。
黙って耐えていることしか出来なかった。
「たくさんの方が住んでるんだね。蒼紀は何も出来ない子だから、ご迷惑をお掛けしてしまっただろうなあ」
「え?…そんなことないと思うけど。今も実際、夕飯の支度してくれてるし。このお茶だって、二宮さんが淹れてくれたんだし」
「まあ…これくらいのことはね。君はいい子だな」
「そんなこと…あ、そうだ。だから、どうしようかな。お兄さん忙しいんですよね?今日中に帰らなきゃダメ?」
「どうして」
「うん。千歳さんたちにも、会ってもらった方がいいんじゃないかと思って。せっかく来てもらったんだし。明日が無理なら、せめて榕子さんが帰ってくるまで」
「ああ…なるほど」
兄の視線がぼくの方を向いたと気付いて、ぼくは身を固くする。
虎臣くんは、まさか兄がぼくを連れ戻しに来たなんて、考えてもいないだろう。
……そうだ。
あの人は、ぼくを連れ戻しに来た。
南国荘からだけではなく、この東京から。
「泊めて頂いても、ご迷惑じゃないのかな」
「大丈夫だと思うよ。部屋はたくさんあるし」
びくっと肩が震えてしまった。
恐ろしさに怯えながら、二人の方を見る。
兄の口元が、わずかに歪んでる。見覚えのある表情に、思わずぼくは首を振っていた。
「?…どうしたの、二宮さん」
立ち上がった虎臣くんが、ぼくのそばへ来てくれる。
大丈夫?と尋ねながら顔を覗きこんでくれる彼の袖を、思わず握り締めていた。
いやだ……やめて、気付いて。
ぼくの感じているこの恐怖に、どうか気付いて……!
「もしかして、イヤなの?お兄さんが泊まるの」
はっとして顔を上げた。
声を落とし、兄には聞こえないよう、小さく尋ねてくれた。虎臣くんはわずかに眉を寄せ、心配そうにぼくを見ている。
「ぼ、く…あの」
「うん。帰ってもらった方がいい?そうしてもらう?」
唇を震わせ、熱くなっていくまぶたをぎゅうっと強く閉じた。
あの人がそんな願いを聞くはずがない。
ここを去るときは、引きずってでもぼくを連れて行くだろう。
かたん、とイスを引く音がした。
あまりにも驚いて、ぼくはその場に座り込んでしまう。
「っ!二宮さん、大丈夫?!」
慌てて支えようとしてくれる虎臣くんの陰で、顔を上げた。
すぐそこまで来ていた兄が、侮蔑の笑みを浮かべてぼくを見下ろしている。
「大丈夫かい?蒼紀。ごめんね虎臣くん、ずいぶんと迷惑を掛けているようだ」
「そんな…全然…」
「困った子だね。心配で、放っておけないじゃないか」
「に、さ…」
「お言葉に甘えて、今日は泊めていただこうかな。蒼紀の話も聞いてやりたいしね」
すうっと血が下がっていくのを感じた。
指先が冷たくなる。
絶望に塗り替えられて、視界が暗くなっていく。
何もかもが、終わる。
南国荘でやっと手に入れた優しい世界から、ぼくはとうとう、閉めだされてしまったんだ。