【南国荘U-M】 P:03


 暗闇のような孤独にも、悲鳴を上げたくなるような恐怖にも、千歳はじっと耐えてみせる。
 必要以上に千歳を甘やかしているつもりはない。
 ただそばに俺がいることを、忘れて欲しくないだけだ。
 
 
 
 千歳の寝顔に口付け、起さないようゆっくりベッドを降りる。
 バスルームでシャワーヘッドを見上げながら、温かい雨の中、南国荘に思いを馳せた。

 こんなに長く家を空けたのは久しぶりだ。
 また明日から、騒々しい日々なんだろうな。
 慌しい毎日が嫌なわけじゃない。住人が増え、日々の雑事が増えたのも事実だが、俺にはそれすらも愛しい毎日だ。
 今回、長崎へ行ってよくわかった。
 どうやら俺は、余裕のない毎日じゃないと落ち着かないらしい。
 いつも以上に世話を焼きたがる俺を見て、千歳に笑われてしまったくらいに。

 ざっと体を拭き、デニムに足を通してタバコに火をつける。普段はあんまり吸わないんだが、今回の旅ではやけに千歳が吸わせたがるせいで、本数が増えていた。
 相当、気に入っているんだろう。ことあるごとに「タバコ吸わないの?」と尋ねる千歳に、そんなに吸わせたいのかと問えば、俯きながら「カッコいいんだもん」と呟いていた。
 鏡に映った自分の姿を目にして、苦笑が浮かぶ。本当にあいつも、何がそんなにいいんだろうな?
 こいつの嫁さんが、かなりのヘビースモーカーなのは知っている。千歳のことを相談するため頻繁に会っていた頃、何箱貢がされたか、わかりゃしねえ。
 タバコを買って来いだのボトルを入れろだの、俺をなんだと思っているんだか。
 まあ……千歳のことを引き合いに出されると、逆らう気も起きないがな。

 タバコを咥えたままバスルームを出たが、やはり千歳が起きる気配はない。
 長年、理子(リコ)と住んでいたせいだろう。自身は全く吸わないのに、タバコの匂いがしていても気にならないようだ。
 俺はベッドサイドに置いていたライカを手に取り、窓際のイスに座る。
 そこから見つめる、寝乱れたベッドに千歳の白い背中。艶めかしい光景だな。
 ラスト一枚をファインダーに収め、フィルムを詰め替えた。

 仕事柄カメラは必需品だが、俺はあまり機材にこだわる方じゃない。仕事に必要なもの以外、集める趣味もないし、もちろん使わないものを飾っておく趣味もない。
 仕事で使うカメラは、常に三台。
 新しいものを一台購入した時、同系統の機種を必ず一台、手離すことにしている。そこまでの覚悟がなければ、新たに購入する必要はないと思うからだ。
 風景が専門だと看板を上げる以上、レンズの数は多いけどな。

 カメラマンのくせに、カメラに対する執着がない。だが今手にしているライカだけは別だ。
 これは祖父が使っていたものを受け継いだ。俺が写真を始めるきっかけになったカメラだった。