祖父は俺が生まれる前に他界しているから、実際に会ったことはない。
しかし俺は幼い頃、祖父が撮った写真を見て、それに強く惹かれたんだ。
彼が妻や娘、双子の息子たちを撮っていた写真。平たい紙切れでしかない彼の写真には、会ったことのない祖父がどんなに家族を愛していたか、彼の愛情が溢れていた。
だから俺は、祖父と同じように千歳を撮りたくて、このライカを受け継いだ。
高校生の頃は、本当に千歳ばかりを撮っていた。
当時の俺は知らなかったが、今では驚くような値段を付けられている、伝説の名機。
だが俺は、その素晴らしいカメラを、長い間封印していた。
高校の卒業式を最後に、俺は大切なライカを仕舞い込んだ。
もう二度と千歳を撮れないなら、このライカでは他の誰も写さない。
幼さゆえの強い誓いを立てて、俺は祖父のライカごと、千歳の存在を忘れようとしていた。
千歳の隣にいる毎日が、再び始まるまで。
修理に出していたライカが戻ってきたのは、二ヶ月くらい前。
十年近いブランクがあったにも関わらず、祖父のライカは俺の手に、しっくりと馴染んでくれている。
他のどんな高性能なカメラより、こいつで視界を切り取るのが気持ちいい。
ライカが戻ってすぐ、久しぶりに千歳を撮った。
照れて笑う姿にシャッターを切ったとき、ようやく俺は千歳を取り戻したのだと実感した。
あいつをどんなに抱きしめても、熱く肌を重ねても、自分の中に燻って消えなかった、言葉にならない不安。それが不思議なくらいきれいに、消えてなくなった。
千歳を皮切りに、俺はこいつで南国荘の姿を撮るようになった。
虎臣の母親である理子との約束で、千歳たちの日常を撮り、送ってやる必要があったからだ。
約束の義務感から始めた撮影だが、これが思った以上に面白い。
何気ない日常。当たり前の風景。
それが祖父のライカを通すと、驚くぐらい光に溢れ、どれほど自分にとって大切なのかわかる。
祖父が溢れる愛情をもって、家族を撮っていたライカ。
だから俺もこのカメラでは、家族の姿しか写さない。
千歳はもちろんだが、榕子(ヨウコ)さんや、伶(レイ)と雷(ライ)。見えないし映らないのはわかっているが、ラジャを撮る気で庭にレンズを向けることもある。
最近撮る枚数が多いのは、虎臣だ。
どうにもあいつは写真映えする。豊かな表情のせいかもしれないが、しょっちゅう撮っていると、実際に目で見るよりも、成長していくのがわかるんだ。近すぎてわからないものを、改めて確認できるのは面白い。
もちろん一番多くシャッターを切る相手は、このライカを手に入れるきっかけになった千歳だ。
最愛の人を撮っていた祖父と同じように、俺も千歳にライカを向ける。