【南国荘U-N】 P:04


 もし、もう少し蓮さんが、ぼくの勝手を許してくれるというなら。せめて東さんが帰ってくるまで。
 でも兄はぼくに反論を許さなかった。

「帰るんだ。いくらトロいお前でも、もう支度が出来てるんじゃないか?これ以上ワガママを言うんじゃないよ。…大体、母さんがどれほどお前を心配していると思ってる」

 とうとう兄が、母さんのことを理由に持ち出す。
 身体中の力が抜けていくように思った。兄は何て言えばぼくが抵抗をやめるか、誰よりも知ってるんだ。

「俺は母さんに言われて、ここにいるんだ。お前だってもう、母さんに心配はかけたくないだろう?」
「兄さん…」
「母さんを泣かせるのも、いい加減に…」
「卑怯だよ!」

 自分の気持ちを言葉に出来ないぼくに代わって、兄を糾弾したのは、手を握っていてくれる虎臣くんだった。

「っ…な、何が」
「だってそうじゃん!お母さんのこと持ち出されたら、反論できないだろ?!」

 呆然と虎臣くんを見つめた。
 虎臣くんは強くぼくの手を握って、兄を睨みつけていた。
 握った手を引っ張られる。
 まるで隠そうとでもするように、虎臣くんはぼくを、自分の後ろへ押し込んでくれた。

「自分の言うこと聞かなかったら、お母さんがって言うわけ?そんなの、卑怯だよ」
「君の意見することじゃない、蒼紀は…」
「あんたが意見することでもないだろ!蒼紀のことは蒼紀が決める!」
「子供は黙ってろ!」
「黙ってたらあんた、好き勝手に蒼紀の気持ち決めちゃうじゃん!」

 怒鳴った虎臣くんは、はあはあと荒い息を吐く。身体の向きを少し変えて、ぼくの手を強く自分の胸に押し付けた。
 苦しいよ……どうして君には、ぼくのことが全部わかっちゃうんだろう。
 昨日彼は、すごく傷ついた顔をしていたのに。それは自分のせいなんだって思うと、とても苦しいのに。
 蒼紀、って呼んでくれたの、初めてだ。
 こんな時なのにその些細なことが、無性に嬉しかった。

「…誰だってお母さんが苦しむの、見たくないに決まってる。自分が我慢してお母さんが苦しまないってわかったら、誰だってそうする。でもそれを利用するのは、卑怯だよ」
「何も知らないくせに…偉そうに」
「オレは二宮さんがお母さんを大事にしてること、知ってるよ。…昨日、二宮さんがどんなに泣いてたかも知ってる」
「っ…!」

 昨夜、自分のした事を示唆されて、兄の顔がわずかに引きつった。
 虎臣くんは兄さんから、視線を外さない。

「二宮さんは、何にも決められないんじゃない。アンタが決めさせないんだ。二宮さんが反論しようとしたら、お母さんが泣いてるとか、どうせ何も出来ないとか言って。そんなの関係ないじゃん。二宮さんがどうしたいかは、二宮さんにしかわからないだろ」
「虎臣くん…」

 手、震えてるね。
 それでも必死に、ぼくを守ろうとしてくれてるんだ。
 まだ中学生の君が、ぼくを庇って。あの兄さんに立ち向かってくれている。