【南国荘U-N】 P:05


 虎臣くんは昨日、ぼくが何をされたか、知ってるよね。
 あったかいお風呂に入れてくれて、情けなく吐いていたぼくの背中、ずっとさすっていてくれた。
 たくさん泣かせたのに、一晩中そばにいてくれたんだ。
 大事な人に優しくするのは当たり前だよって、咲良さんが言ってた。
 ぼくはこんなにも大事にされてる。
 もう自分では何も出来ないからなんて、つまらない言い訳を繰り返し、俯いてばかりいちゃいけない。

 待っているだけじゃダメだ。
 誰もぼくに気づいてくれないなんて、泣いていても何も変わらない。
 虎臣くんは、ぼくに気づいてくれた。
 彼のそばにいたいと思うなら、今度はぼくが自分で、足を踏み出さなきゃいけないんだ。

 顔を上げる。
 兄さんの顔を見るのは、まだ怖いけど。
 大丈夫。ぼくの手を、虎臣くんが握っていてくれるんだから。

「…ぼくは、帰らない」
「蒼紀!」

 叱責する兄の声。でもぼくは、もう逃げない。
 自分から虎臣くんの手を強く握る。
 弱くてごめんね。頼ってばかりでごめんなさい。
 でも、力を貸して。
 頑張るから、ぼくを守って。

「もう、嫌なんです。あなたのそばになんかいたくない!」
「お前、何を言って…」
「お母さんがどんなに心配していたって、あなたのいる家には帰らない!」
「………」
「嫌なんです!兄さんと一緒にいたら、ぼくはどんどん自分が嫌いになる…!」

 初めて自分の気持ち、兄さんに言えた。
 怖くて仕方ない。身体が震えてくる。
 でも縋りつくように繋いでいる虎臣くんの手は、けしてぼくを離さないでいてくれる。
 驚いた顔をした兄さんは、何も言わず唇を震わせていた。

 凍ったように静まり返たリビング。
 ふうっと息を吐きだして、「あんたの負けだ」と呟いた蓮さんは、ちょっと嬉しそうな顔をしていた。

「!…葛さんまで、何を…」
「聞いただろ、弟の台詞を。あいつはもう、あんたが何を言ってもここから動かない。それでも引きずって帰るというなら、ここにいる全員を敵に回す覚悟をするんだな」
「………」

 反論できないでいる兄さんを、蓮さんが静かに見つめてる。蓮さんが本当は優しい人なんだって、ちゃんと知っているぼくでも、怖いと思ってしまうような表情だ。
 みんながぼくを、守ろうとしてくれてる。
 自分が動けば、世界は変わるんだ。

「まあ確かに、大事な息子が東京へ出て行ったまま、なんの音沙汰もないんだ。お袋さんは心配してるだろうな」
「そうです、だから俺は…」
「二宮」

 呼ばれたぼくは蓮さんを見つめ返した。
 目を見れば、何も怖くない。この人は南国荘をずっと守ってきた人。今はそこに、ぼくも入れてもらってる。

「落ち着いたら、お前が自分で、お袋さんに電話を掛けろ」
「蓮さん…」
「ここの連絡先を伝えて、元気にしているから心配しなくていいと、自分で言うんだ」