【南国荘U-A-U】


A-U:蒼紀



南国荘に着いた日の夜は、歓迎会と称した宴会になっていた。
元から対人関係が苦手な蒼紀。大勢の住人たちの中、どうしていいかわからずに、口を開くことさえままならない。
その上、頼りにしにしている千歳までも、蓮と付き合っていることを聞かされ、心は塞ぐ一方だ。

同性を好きだなんて、間違っているのに。それを大っぴらに出来る咲良や、否定せずに照れているだけの千歳が信じられない。
しかも蓮の母親である榕子が、息子の同性愛を認めてしまっている。
世の中とはズレているのに、そこにあるのは幸せな家族だ。蒼紀にはそれがどうしても、受け止められない。
嫌悪感はない。千歳に対する好意も変わらない。ただ、どうしていいかわからなかった。

この屋敷や部屋もそうだ。
突然誘われて住むことになった蒼紀には、もったいないような広い部屋。ユニットバスまで付いていて、ビジネスホテル並みの設備が整えられている。
二階には他にも何室が部屋があって、千歳が越してくるとき、全ての部屋を改装していたらしい。
怪我をしているなら一階の方がいいか?と蓮は聞いてくれたが、骨折しているわけでもなく、松葉杖さえ必要ない程度だ。千歳は自分の部屋を指さして、困ったことがあったらいつでも尋ねるよう言ってくれた。
元々住んでいたアパートより広い部屋。しかし蒼紀は、その隅で膝を抱えてしまう。
不安ばかり大きくなっていく。他人に迷惑をかけることしか出来ない自分が憎い。
千歳は「何がしたいの?」と聞いてくれたけど。蒼紀は自分が何をしたいかより、どうすれば世界にとって自分が邪魔にならないかばかり考えていた。

翌朝、言われたとおり朝食の6時にダイニングへ向かう。まだ人のまばらなダイニングテーブル。忙しなく働く蓮と、優しく微笑んでいる榕子だけがいた。

「おはよう、あーちゃん」
「おはようございます…」
「よう、早いな」

てきぱきした蓮はカメラマンだと聞いた。その彼が、この屋敷を取り仕切っているのだとか。
何か手伝った方がいいのだろうかと思うのだが、無駄のない蓮の動きに、自分では邪魔なだけだと、おとなしくテーブルの端に座る。

「二宮」
「…はい」
「昨日は聞き忘れたが、お前、食えないものあるか?」

後ろ姿の蓮に問われ、蒼紀は首を振る。

「ありません」
「そうか。ほら、朝メシ」
「…すいません」

カフェで出てきてもおかしくないような朝食だ。やはり自分などが手を出すべきではないのだと、蒼紀は黙って食事に手をつける。そこへ虎臣と千歳が現れた。
通学と通勤の準備を整えている二人の姿を見て、無職状態の蒼紀は居心地が悪い。

「おはよ、二宮さん。早いんだね」
「あの…6時って聞いたから…」
「6時から、だよ。ケガしてんだし、もっとゆっくりしてればいいのに。8時くらいまで全然平気だよなあ?」

虎臣の言葉に、蒼紀は自分が早すぎて迷惑をかけたのではないかと小さくなる。二人に朝食を出しながら、蓮は肩を竦めた。

「何時でも構わねえよ。俺が用意してやれるのは6時以降だが、いなけりゃ自分で作ればいい。ここにあるモンは勝手に使え」
「…はい。すいません」

そんなことを言われても、蒼紀が勝手に出来るはずはない。

昼になっても蒼紀はリビングの端で、何もせずおろおろと座り込んでいた。
部屋に戻ればいいようなものだが、閉じこもっているのもなんだか申し訳ない気がするし、かといって出来ることもない。本気で消えてしまいたくなる。
肩を落としている蒼紀の元へ、にぎやかな声が近づいてきた。
庭に干していた洗濯物を回収した蓮と、蓮を口説いている真っ最中の咲良だ。
いったん洗濯篭をリビングテーブルに置いた蓮だが、その手を咲良に掴まれて、足早にリビングを出て行ってしまう。もちろん咲良も追いかけていって…
再び取り残された蒼紀は、じっと洗濯籠を見つめた。

――皺になるんじゃないかな…

せっかく洗ったものなのに。
手持ち無沙汰だった蒼紀は良く考えもせずに、それを畳みだしていた。
住人の多い南国荘だ。けっこうな量の洗濯物だが、母と二人暮らしが長かった蒼紀にとって家事のわずらわしさは、あまり気にならない。
無言で畳み続けていると、虎臣が帰ってきた。

「ただいま〜」
「…おかえりなさい」
「あれ?二宮さんだけなんだ。その洗濯物って蓮さんに頼まれたの?」
「いえあの、置いてあったから…」

そういえば勝手にしないほうが良かっただろうか。もしかして蓮には蓮のやり方があったのかもしれないのに。
思わず手を止めかけた蒼紀だが、もう残りは2枚だけ。今さらだと、申し訳なく想いながらも畳み終えたときに、蓮が戻ってきた。

「帰ってたのか」
「うん、ただいま。なんかお腹すいた〜」
「最近お前、そればっかりだな」
「育ち盛りだもん」
「昼のサンドイッチ残ってるから、勝手に食ってろ」
「やった!」
「晩飯が食える程度にしとけよ」

そう釘を刺した蓮は、蒼紀が畳み終えた洗濯物の前で、おろおろしているのに気付いた。

「二宮…それ、お前が?」
「あ、あの…すいません、ぼく…」

どう言い訳したものか、戸惑う蒼紀の前から、蓮は気にした様子もなく洗濯物を抱え上げた。

「そうか。ありがとう」
「え?」
「助かった」

それだけ言って、蓮はさっさとリビングを出て行ってしまう。蒼紀は呆然として後ろ姿を見つめていた。

「どうしたの?二宮さん」
「いや、あの…いま蓮さんが…ぼくに助かったって…」
「?…そうだね」
「洗濯物、勝手に畳んじゃって、なのに」

感謝されるようなことは、なにもしていない。それどころか蓮が自分のペースでしていることに、手を出してしまったのに。
蓮の感謝に動揺する蒼紀の顔を、そばまで来た虎臣が覗き込んだ。

「あのさ、二宮さん。昨日から気になってたんだけど、すいませんって口癖なの?」
「え?」
「蓮さんが料理出したときも、千歳さんが着替えを貸したときも、そう言ってたじゃん。覚えてない?」
「そう…だったかな」
「うん、言ってた。でもさ、オレだったらああいうとき『すいません』って言われるより『ありがとう』って言われる方が、嬉しいよ」
「虎臣くん…」
「蓮さんもそうなんじゃない?だからさっきも、二宮さんに『ありがとう、助かった』って言ったんだし。あの人あんまり喋らないけど、そういうとこちゃんとしてるから。二宮さんも言ってみれば?すいませんじゃなくて、ありがとうって」

優しく笑う虎臣は、中学の制服を着ているのに、ずっと大人びて見える。落ち着いた雰囲気を見つめていると、蒼紀は自分まで心が穏やかになる気がした。
まるで年下の彼が、兄のように諭してくれる。しかし実際蒼紀が知っている義兄と話すときのような、押し付けがましさはないのだ。

それからはまるで子供のような素直さで、蒼紀は虎臣の言葉を実践していた。
そうすると南国荘の住人たちは、当然のように感謝の言葉を返してくれる。
榕子のお茶を足したとき。TVのリモコンを探す伶志に手渡したとき。
南国荘の住人たちは、それぞれが自分勝手に動いている分、誰も蒼紀に余計な干渉をしてこない。でも彼らは、ちゃんと蒼紀のしていることを見ていてくれるのだ。
穏やかな南国荘で、蒼紀は少しずつ自分の心が軽くなるのを感じていた。