クリスも、賢護五石も。もちろんこの老女官も。そんなウィルの気持ちを、理解してくれている。わかってもらえない相手に、ぐだぐだと文句を言うより、わかってくれる人を大切にすればいいだけの事。
和やかな表情で老女官に近づいたウィルは、彼女の後ろの大きな扉をに目を遣った。
「殿下のお加減はいかがですか?」
「それが…ねえ。貴方からも申し上げてくださいな」
やっぱりか、とウィルは肩を竦める。
相変わらず病弱なクリスが、高熱を出して倒れたのは先週の話。
ちょうどその場に居合わせたリュイスが、早急に魔力を使って、治癒を施したのだが。一気に奪われた体力を、すぐに取り戻すようなことは出来なくて。クリスはしばらくの間、寝室での療養を余儀なくされている。
ただし、彼がおとなしくそれに従っているかといえば、なかなか難しい問題だ。
「殿下もいい加減、懲りませんね」
「ええ、本当に。貴方からもきつく言ってくださいね」
いつも笑顔で、表立って人に逆らうことをしないクリスだが、やろうと思ったことは誰が止めてもやり遂げる。彼に意見できるのはもはや、賢護五石とウィルぐらいなのだ。
頬に手をあてて溜め息を吐く老女官に、苦笑いのウィルは扉を指差し「いいですか?」と尋ねる。
老女官は笑顔で頷いて、重い扉を開けてくれた。
どうぞ、とウィルを室内へ勧めるが、彼女は中へ入らない。
臥(フ)せっている姿を人に見せたがらないクリスのため、いつも彼の部屋には人の出入りが少なかった。
広くきらびやかで、しかし落ち着いた雰囲気にまとめられている部屋に入ると、背後でゆっくり扉が閉まった。
ウィルはあからさまに渋い顔をして、大きな寝台に近づいていく。
話し声を聞いていたのだろう。細面の美貌が、横になったまま笑顔で親友を迎えた。
「こんにちは、ウィル」
「………」
じいっとクリスを見つめる。
この、にこにこした顔が曲者だ。
「起きろ」
「え?」
「いいから、起きろ」
顔色のすぐれないクリスにそう言って、ウィルは強引に、しかし身体に障らないようゆっくりクリスを起き上がらせる。
布越しなのに、触れた肌が熱い。まだ熱は下がっていないようだ。
焦り浮かんだクリスの表情を見ながら、大きな枕の下に手を入れた。
「…やっぱりな」
「あ、あの」
「オレに隠せると思うなよ?」
ウィルが引きずり出したのは、昨日、彼自身が届けた分厚い本。
町で出版されたばかりの、歴史学に関する本だ。
昨日はちゃんと元気になるまで、読まないと言っていたクリス。でもそんな言葉、ウィルは信じていなかった。
「お前はほんとに」
「あの、ですがその、だいぶ身体も楽になりましたし、もう大丈夫だと思って…」
わたわたと言い訳をする。いつもは凛とした皇太子殿下も、勘のいい親友の前ではかたなしだ。
「お前の大丈夫はアテにならない」
「だって、本当に」
「この本は没収」
「ええっ!そ、そんな」
「元気になるまで読まないんなら、別にいいだろ。もういいから、横になれ」
「ウィル…」
「さっさと寝ろ!ガタガタ言ってたら、本気で返さないからなっ」
「…わかりました」