思い出が手づくりの菓子だということも、記憶をなくしたくだりも。何もかもが母とレフを髣髴とさせる伝説。有名な話だから、もちろんレフは知っているはずだ。
ふっとレフの視線が俯きがちになったのに気付いて、ウィルは苦く笑う。
黄の賢護石の中で、自分はまだ「アメリアの息子」なのだろうか。ずっと聞いてみたいと思っているが、怖くてとても聞く気になれない。
「男は彼女に『食べる気はない』と言って撥ね付けた。でも彼女は諦めきれずに、それを置いて帰った。彼女が帰った後、どういうわけか男は、その焼き菓子を食べる気になって。食べた瞬間、全てを思い出した」
「すごいね」
感心して素直に喜ぶアルムの隣で、ウィルは「どうだろうな?」と眉を寄せている。
「オレは医学生の立場として、甚だ疑問に思うね。脳にそんな大きな損傷を受けながら、一瞬で全てを思い出すなんて」
美しく語られる伝説に、科学を持ち込もうとする無粋な男。昔からウィルもクリスも、かなり現実的な性格だったが。大学へ入り医学を学びだしてから、ウィルにはその傾向が強くなったような気がする。
とにかく噂とか、伝説とか、おとぎ話とか。そういうものに鬱陶しい解釈をつけたがるのだ。
アルムはまたかと溜め息を吐いて、ウィルを見上げた。
「ウィルってさあ…」
「なんだよ」
「……。いいよ、もう。それで?二人は結局どうなったんだ?」
言ってもどうせ、ムダなのだ。
兄とウィルにとって、物事の解釈を突付き回すのは、一種の遊びなのだろう。
幼いアルムが絵本を読んで欲しいと兄にせがむ時、ウィルが同席していたらいつも、同じ展開になる。
二人は絵本の内容に、現実的で即物的な解説を持ち込み、最後までちゃんと読んでくれたためしがない。
伝説の先を促すアルムを怪訝に見つめながら、ウィルは続きを語った。
「男は家を飛び出し、結婚式真っ最中の恋人を奪いに行った。二人は手に手を取って逃げ延び、幸せになりましたとさ。おしまい」
「へえ…そうなんだ」
「この伝説にあやかって、みんな同じ焼き菓子を恋人に贈り、永遠の愛とか、ずっと忘れないとかって誓うんだ。そういう祭」
「…永遠の、愛」
なんだかやけに深刻な顔で、その言葉を繰り返している。ウィルはにやっと笑って、アルムの顔を覗きこんだ。
「買うのか?」
「え?」
「買うために来たんだろ?お前」
「う、うん」
「贈る相手がいるってことだな」
「それ…は…その」
「誰だよ。王宮のやつ?」
「いいだろ、誰でも!ウィルには関係ないんだからっ!」
「まあ、関係ないっちゃ関係ないか」
興味を失った素振りで追求を止めたウィルは、試食のかけらを置いてある店の前で足を止めた。店主に一声かけ、割れた菓子をひとつ手に入れる。
「とりあえず食ってみれば?」
「うん」
ウィルに差し出された焼き菓子を、アルムは受け取って食べてみる。ほんのり甘い中にも、木の実の香ばしさが広がった。
「あ、美味しい」
素直な言葉を口にしたアルムに、年老いた店主が嬉しそうな顔になる。